生きる苦しみはエゴのせい?人生の苦をスピリチュアルに説明してみた【エックハルト・トール】

2019年6月12日

世界の始まり

人生の苦の原因、それは"エゴ"のせいだ――スピリチュアルリーダーのエックハルト・トールはそう説きました。

私たちは生きている限り、望んでいるものが手に入らず、孤独にさいなまれ、健康は損なわれ、愛する人との別れを誰しもが経験します。

打ちのめされて生きることに迷いながらも、それでも幸福に生きたいと願うのが私たち。ですが、そもそも苦しみはどこからやってくるのでしょうか?

それに明晰な回答を出したエックハルト・トール(1948-現在)。彼の鋭い心への観察眼と、「エゴ」という概念をベースにした優れた思想、そして宗教に囚われないスタンスは、国内外を問わず多くの人々の共感を呼びました。

今回はエックハルトの考え方を眺め、エゴという概念の意味を理解しつつ、人間の苦しみを生み出す仕組みと理由を見ていくことにしましょう!

※なお、この記事はエックハルト『ニュー・アース』(サンマーク出版)を参照しています。(ページ番号は本書のものです)

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そもそもエゴって何?

エゴ

どうして私たちは苦しまなければならないのか?

それをエックハルト流に理解するには『エゴ』という概念を理解しなければなりません。このエゴというのは「利己心」「自分勝手」「自己」というようなふつうの意味ではありません。

彼のエゴという概念は、次のような意味を持ちます。

  • 自分を"形"に同一化させること(p.29, pp.66-67, p85 etc)
  • 間違った自己のメカニズム(p.37)
  • 善でも悪でもない、無意識であり、個人を超えたもの(p.50)

私たちは自分の身の回りにある人・物・事は、自分に所属していて、ときに自分そのもののように感じているものがたくさんあります。

たとえば自分の友人は、自分と深いかかわりを持つ人であり、その人がもし攻撃されたら黙っていられませんし、自分まで辛くなります。

持ち物が盗み出されたら慌てふためいて、腹を立てるでしょうし、病気になれば、「自分が病気だ」と思い悩み、必要以上に苦しんでしまうでしょう。

このような心の状態を同一化していると呼びます。本来自分ではないものと同一化していること自体が苦しみの原因になります。それがどういうことなのかはこの後でくわしく説明しますが、エックハルトの“エゴ"を、かんたんに要約すると以下のようになります。

同一化を図ろうとする、無意識的な心の働き

念押ししておくと、エゴは次のような意味ではありません。

×利己心(例.あいつはエゴの塊だ)
×自分勝手な(例.エゴイスティックなひとたち)
▲自己(例.哲学や精神分析における自己)

そして、エゴによって同一化している対象のことを"形"と呼んでいます。上記の例なら、友人・持ち物・病気が"形"に該当しますが、もう少しわかりやすく説明してみましょう。

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“形"って何?

形

形とは同一化が起きる対象のこと。たとえば、

  • 思考
  • 感情
  • 自分の肉体
  • 社会的文脈(物語)
  • 社会的役割
  • 所有物
  • お金
  • ペインボディ(別の記事で触れます)
  • “自分"

これらが同一化が起きる対象であり、同時に苦しみを生み出す原因になるものです。私たちはあらゆるものを、自分そのもの・自分の属性・自分の所有物として取り込み、自己という概念を肥大させていきます

感情と同一化するなら

たとえば感情。激怒したとき、自分に怒りが生じたのであり、怒りは自分から切り離された別個のものです。しかし、腹を立てているときはその感情と一つになっています。

もしこのとき「自分は腹を立てているのだ」ということを自覚できれば(怒りを対象として認識することで)怒りの感情は消えます。このような心のプロセスは気づき(awareness, mindfulness)と呼ばれ、特に瞑想の分野で重視されていますね。

社会的役割と同一化するなら

社会的役割も同じです。自分が医者だとして、誰かかが「医者は全く役に立たないよ」とほかの医者の悪口を耳にすればきっといい気はしないでしょう。それはあなたが医者というものを自己の概念の中に取り込んでいるため、医者を攻撃されるだけで、自分が損なわれたような気になるのです。

しかし、それは概念的な認識過ぎず、不快な感情を経由して「私は医者であるというアイデンティティを自己認識に取り込んでいる」ことに気づくなら、それを切り離すことができるのです。

エゴは何を求めているのか?

神秘と女の子

苦しみを生み出してしまうエゴ。真実の自己の上に架空の自己像を創り上げ、あらゆるものを自分(の延長)に捉えて必要以上に苦しみを生み出してしまう心の仕組み。

このような心の働きはなぜ生まれてしまうのでしょう?エックハルトは次のように言いました。

エゴが求め執着するのは、エゴが感じることができない『大いなる存在』の代用品です。

p.50

私たち(のエゴ)はいつも満足感を求め続けています。

そして私たちはお金・人間関係・役割・物・肉体などをもっとわかりやすい満足感を得ようとしますが、それだけではいつもどこかに不満を感じてしまうも。もっと本源的な満足感・至福感をいつもどこかに望んでいるのです

そして、もし今という瞬間に目覚める(気づく)のなら、同一化を取り払って大いなる存在とつながることができる。あたかもそれは、小窓から新鮮な空気を得ようとするのではなく、すべての壁が取り払われたところに一気に新鮮な空気が流れ込んでくるような素晴らしい感覚かもしれません。

結局のところ、大切なのは次のことだけだ。
人生という背景の中で常に「大いなる存在」という自分の本質、「私はある」ということを感じていられるか?
……意識そのものとしての自分のアイデンティティ、その本質を感じられるか?

p.91

真実の自己と大いなる存在

オススメ 瞑想

「私は~である」という認識・考え・感情はまさに観念上の問題であり、それを取り払った後は自分は何者でもなくなります。同一化を離れた自己の存在は、仏教などでは真実の自己(無位の真人etc)と呼ばれます。

同一化を取り去った後には本来の自分が立ち現れ、同時に"より大きな存在"との接続や一体感のようなものを感じられるようになるとされます。「みんな繋がっている」という考え方がスピリチュアルにはありますが、これには体験的根拠があるわけですね。

そのような存在のことは一般的に「神」「大いなる存在」「無限の知性」「宇宙」「ソースエネルギー」のように神秘的な表現がされます。

自分自身の感情や思考に“気づき"、その同一化の状態を切り離していくプロセスの流れで、このような悟りあるいは目覚めを経験することになるのです。

まとめ

いかがだったでしょうか。今回は人生における苦しみを生み出すのはエゴのお話でした。

エゴを取り払ったところにある真実の自己・大いなる存在とで出会うことで、至福の満足感が得られるようになる――とてもスピリチュアルですね。

仏教における禅、ニューエイジや瞑想者たちの指摘する「気づき」、そしてニューソートや引き寄せの法則でも同様のことが語られるのですが、エックハルトは誰よりもわかりやすくこれを説明してくれました。

今回は気づきとは何なのかについてあまり深く触れられませんが、機会があればこれについても解説していきたいと思います。またペインボディについて、また『ニュー・アース』という本自体の紹介記事も鋭意執筆中ですので、記事が完成次第またリンクを掲載していきます。

本書は、本当にオススメなので、ここまで読んで面白かったよと思った方はぜひ一読してみてくださいね!

最後までご覧いただき、ありがとうございました!

 

参考文献

エックハルト・トール(2008)『ニュー・アース』(吉田利子訳)サンマーク出版.

 

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