いいかげんに生きるということ

 

こんにちは、オルメですオルメ

死ぬほど暑いお盆休み、いかがおすごしでしょうか。私はエアコンのきいた部屋で井村屋のあずきバーを食べてダラけた小学生のような生活をしています。おいしいんですよ、あずきバー。

ところで昨日は近くのタリーズ(カフェ)に行ってきて、とある本に出会い、ふと思ったことがあったので綴ることにしました。

テーマは「いいかげんに生きよう」

タリーズに入れなかった私が、修造から教わった生き方のコツです。

スポンサーリンク

タリーズに入れない

タリーズはお気に入りのカフェです。

ゆったりとした雰囲気も、TSUTAYAと併設され未会計の本を持ち込んで読んでもOKなのも素敵です。どことなく落ち着きのあるタリーズにずっと親近感を感じてきました。

昨日の私は小説が読みたくなって、カミュの『ペスト』と近藤史恵の『ヴァン・ショーをあなたに』を持ち込んで、抹茶リスタでまったりやろうと思っていたのですが、小柄な店員さんはかわいらしくほほ笑んで、さっそく私の幻想を打ち砕きました。

「ごめんなさい、いま機械の故障でQuickPayが使えないんです」

iPhoneをもったまま、私は固まっていました。

カバンもサイフももたずにふらりと立ち寄っただけのタリーズ。手ぶらタリーズです。現金なんてありません。機能停止している私に、不安そうな声で「……お客様?」と。

はっと我に返った私はすぐさま優雅な微笑みをたたえ「いまは現金の持ち合わせがないので……また、今度にしますね」と答えました。ファサッと髪をなびかせて踵を返し、すべてをなかったことにする魔法の言葉を小さくつぶやきました。

「時を戻そう」

ナス ぺこぱ

※肖像権の関係上本来の画像を表示できないため、ナスを表示しています。

スポンサーリンク

修造の"鈍感力"と出会う

ガッカリした私はしばらく『ペスト』を立ち読みしていたのですが、本を棚に戻して本屋をブラブラすることにしました。

別の小説がないか探していたところ、松岡修造の本が目に留まりました。どうして小説コーナーに松岡修造があるのか、理由はよくわかりません。人情の機微とも、技巧的な謎解きとも、深遠なメタファーとも無縁な熱量(だけ)が豊富な修造本が3冊も棚に挟まっているのです。何か不思議な力が働いているに違いありません。

ともかく一冊を手に取って目を通します。開いたページには“鈍感力"という見出し。私は、ほぅ、と思い、そのページをじっくり読むことにしました。

彼いわく、スポーツ選手が試合本番直前の緊張がピークに達する直前によぎる「失敗したらどうしよう」的なネガティブ思考に対して「ふうん、そうなんだ」と応じる思考法が役に立つ、と書いてあり、彼はこれを“鈍感力"と呼んでいました。

たしかに、彼らにとって神経をとがらせなければいけないのは試合中であって、それ以外のときに神経をすり減らさないようにしておくことは重要なこと。そのコントロールがうまいから、彼らのメンタルは強靭なのでしょう。わたしのような牛乳プリンメンタルとは訳が違うのです。

それにしてもこの鈍感力のくだり、「ふうん、そうなんだ」というマインドへの応じ方があるのだ、という点で面白いものでした。

私たちは辛い状況に立たされたり、人間関係で深刻なトラブルが起きたときにはなんとかしなければならないと焦り、思い悩み、必死に解決法を探し回ったりするかもしれません。

ですが、そのような心の状態は根本的に誤りで、無自覚に感じている"深刻さ"や"重要性"とはもう縁を切ってしまうのがいいかもしれません。

問題を問題視しないということ

私が好きな本に『不食という生き方』(幻冬舎)があります。

“食べないで生きていく"ライフスタイルを選択した秋山佳胤(よしたね)さんが書いた不食と人生についての著作。

「悩みは、まじめさに比例し、いいかげんさに反比例する」

この本で最も印象的で、好きな言葉です。

「こうしなければいけない」「こうでなければいけない」という思い込みに気づいて「問題を問題視しない」ことが悩みを解消するんだよ、と秋山さんは教えてくれます。

重要性をはく奪するということ

同じようなことを、ヴァジム・ゼランドも言いました。ヴァジムはロシアの物理学者で、SF色の強いスピリチュアル系自己啓発書『リアリティ・トランサーフィン』の著作で知られています。

精神の在り方が、現象や事象に影響すること(いわゆる"引き寄せの法則")について書いているのですが、私たちが何かを非常に重要だと考えるとき、そこには過剰ポテンシャルという力が働くと彼は考えます。これによって均衡が崩され、平衡力という相反する力が働くことで(過剰ポテンシャルが)解消されてしまうのだ、と彼は言います。

分かりやすく言えば「重要だと思っていることほど、上手くいかなくなるぜ」というのが彼のメッセージであり、重要視しないこと、重要性を与えないこと、それがうまくやっていくためのコツなのだとヴァジムは教えてくれました。

そうかもしれません。

人生をかけてきた仕事に思いもかけず失敗してしまうのも、
長年の自分のコンプレックスで思い悩むのも、
大切だった友人や恋人とすれ違って孤独になってしまうのも、

自分にとって辛く、決して望まない状況に陥っているとき、私たちは問題に対して過剰に重要性を与え「これをなんとかしないと生きていけない!」「絶対に許せない!」という思いに囚われているかもしれません。

いつも緊張して神経は張り詰め、そのことばかり頭に思い浮かび、誰かに八つ当たりしてしまったり、夜眠ることができないかもしれません。

でももしかすると、あまりにも問題を問題視しすぎていて、生真面目に向き合おうとすることでむしろ状況が悪化しているのかもしれない。

もしかすると、その問題視する心の癖には「ふうん、そうなんだ」と応じて、他人のささいな悩みを聞き流すときのような半端な無関心さで、自分事を他人事のように反応するくらいの、いいかげんさで良いのかもしれません。

「悩みは、まじめさに比例し、いいかげんさに反比例する」

緊張を解き、安心できるおだやかな場所で、好きな飲み物でも飲みながら、ぼんやりと時間を過ごす。本を読んでもいいし、映画やテレビを見てもいい。誰かとおしゃべりしてもいい。ときどき、つらい思いが沸き上がってきてもいい。

「ふうん、そうなんだ」

無視はしないけど、ざっくり受け止めて、受け流していい。

それくらいが"いい加減"なのかもしれません。

終わりに

今日は、いつもと違って、個人的な考えを記事にしました。ふだんは"知と実践のライブラリー"とかいう(恥ずかしい)サブタイトルの方針通りに進めて記事を書くのですが、まあたまにはこんな記事もありかな、と思って書いてみました。これが本来のブログってやつじゃないですかね。たぶん。

私もふだんから生真面目にあれこれ思い悩んでしまうほうですが、辛くなったり苦しくなっているときは、真剣さを通り越して深刻になりがち。もっといいかげんな人生を気軽に生きていきたいな、と思う次第です。

メンタル界隈、精神世界界隈でうんざりするほど言われるのは「受け入れる」「許す」「手放す」という言葉。さらに仏教なら「諦める」と言うでしょうし、それを全面的に推し進めたものを「悟る」と呼ぶかもしれません。

凝り固まって執着していて「絶対に……!」という強い思い・重要性・深刻さ、握りしめて離さない強すぎる緊張感を、ふっと緩めて、「そんなことはまあとりあえず置いておこうか」「まあ、そういうこともあるかもしれないね」くらいにリラックスしたほうへ導くこと。

これがつらさから抜け出すベイビーステップであり、自分の望む人生を創り出していくのに役に立つかもしれませんよ。

最後にひとこといいですか。

今日もタリーズにいってきます。愛しています。ありがとう。ピュー。

ナス ぺこぱ

スポンサーリンク