いいかげんに生きるということ

2020年10月12日

 

こんにちは、オルメですオルメ

死ぬほど暑いお盆休み、いかがおすごしでしょうか。私はエアコンのきいた部屋であずきバーを食べてダラけた小学生のような生活をしています。おいしいですね、あずきバー。

ところで昨日は近くのカフェ(タリーズ)に行ってきて、とある本に出会い、ふと思ったことがあったので書いてみることにしました。

テーマは「いいかげんに生きよう」

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タリーズにいって、ふと思ったこと

タリーズはお気に入りのカフェです。

TSUTAYAの買っていない本を持ち込んでもOKですし、スタバに比べて落ち着いた雰囲気が私は好きです。

昨日の私は小説が読みたくなって、カミュの『ペスト』や近藤史恵の『ヴァン・ショーをあなたに』を持ち込んで、抹茶リスタでまったりやろうとしていたのですが、小柄な店員さんがさっそく私の幻想を打ち砕いてくれました。

「いま機械の故障でQuickPayが使えません」

私は、カバンもサイフももたずにノコノコここにやってきて、お茶が飲めると思っていのがどうかしてたんでしょうね。

店員さんが不安になるくらいどうしようか悩んで、どうしようもないことに気づいて「……また、今度にしますね」と優雅に答え(たつもりで)、そのまま颯爽と踵を返しました。

がっかりした気持ちを打ち消すように、ふとついて出た言葉がありました。

「時を戻そう」

ナス ぺこぱ

※肖像権の関係上、ナスを表示しています。

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修造の"鈍感力"

私はしばらくTSUTAYAの書店で立ち読みしていたのですが、小説コーナーにある松岡修造の本が目に留まりました。

どうして小説コーナーに松岡修造があるのか理由はよくわかりません。人情の機微も、技巧的な謎解きも、深遠なメタファーもない、ただ熱量(だけ)が豊富な修造本が3冊も棚に挟まっていました。

なんとなく一冊、彼の本を手に取ってみると、そのページには“鈍感力"という見出し。気になって目を通します。

修造氏いわく、スポーツ選手が試合本番直前の緊張がピークに達する直前に「失敗したらどうしよう」というネガティブ思考に対して「ふうん、そうなんだ」と応じる思考法が役に立つよ、と述べ、彼はこれを“鈍感力"と呼んでいました。

スポーツ選手にとって神経をとがらせなければいけないのは試合中。それ以外のときに心をすり減らさないようにしておくことは大切なのでしょう。そのコントロールがうまいから、彼らのメンタルは強靭なのかもしれません。

それにしてもこの鈍感力のくだり、「ふうん、そうなんだ」というマインドへの応じ方があるのだ、という点で私には新鮮でした。

辛い状況に立たされたり、人間関係で深刻なトラブルが起きたときになんとかしなければならないと焦り、思い悩み、必死に解決法を探し回ることもあるかもしれません。

ですが、そのような心の状態は根本的にはちがっていて、無自覚に感じている"深刻さ"や"重要性"と縁を切ってしまうこと、それがむしろ解決の役に立つのかもしれません。

問題を問題視しないということ

私が好きな本に『不食という生き方』(幻冬舎)があります。

“食べないで生きていく"ライフスタイルを選択した秋山佳胤(よしたね)さんが書いた不食と人生についての著作。

「悩みは、まじめさに比例し、いいかげんさに反比例する」

この本で最も印象的で、好きな言葉です。

「こうしなければいけない」「こうでなければいけない」という思い込みに気づいて「問題を問題視しない」ことが悩みを解消するんだよ、と秋山さんは教えてくれます。

重要性をはく奪するということ

同じようなことを、ヴァジム・ゼランドも言いました。ヴァジムはロシアの物理学者で、SF色の強いスピリチュアル系自己啓発書『リアリティ・トランサーフィン』の著作で知られています。

精神の在り方が出来事に影響すること(いわゆる"引き寄せの法則")について書いているのですが、私たちが何かを非常に重要だと考えるとき、そこには過剰ポテンシャルという力が働くと彼は考えます。

これによって均衡が崩れ、平衡力という相反する力が働くことで過剰ポテンシャルは解消されてしまうということ。

分かりやすく言えば「期待することは失敗する」「重要だと思っていることほど上手くいかなくなる」というのが彼のメッセージで、重要視しないこと・重要性を与えないこと、それが現実化のコツなのだとヴァジムは教えてくれました。

そうかもしれません。

人生をかけてきた仕事に思いがけず失敗するのも、
長年の自分のコンプレックスで思い悩むのも、
大切だった友人や恋人とすれ違って孤独になるのも、

辛く、望まない状況に陥っているとき、私たちは問題に過剰な重要性を与え「なんとかしないと生きていけない!」「絶対に許せない!」という思いに囚われているかもしれません。

緊張して神経は張り詰め、そのことばかり頭に思い浮かんで、誰かに八つ当たりしたり、夜眠ることもできないかもしれません。

でもあまりにも問題を問題視しすぎていて、生真面目に向き合おうとすることで、むしろ状況が悪化しているのかもしれない。

もしかすると、その問題視する心の癖には「ふうん、そうなんだ」と応じて、他人のささいな悩みを聞き流すときのような、自分事を他人事のように反応するくらいのいいかげんさがちょうど良いのかもしれません。

「悩みは、まじめさに比例し、いいかげんさに反比例する」

緊張をといて、安心できるおだやかなところで、好きな飲み物でも飲みながら、ぼんやりと時間を過ごす。本を読んでもいい。映画やテレビを見てもいい。誰かとおしゃべりしてもいい。ときどき、つらい思いが沸き上がってきてもいい。

「ふうん、そうなんだ」

無視はしないけど、ざっくり受け止めて、受け流していい。

それくらいが"いい加減"なのかもしれません。

終わりに

今日は、いつもと違って、個人的な考えを記事にしました。

ふだんは"知と実践のライブラリー"とかいう(恥ずかしい)サブタイトルの方針通りに進めて記事を書くのですが、まあたまにはこんな記事もありかな、と思って書いてみました。

これが本来のブログってやつじゃないですかね。たぶん。

私もふだんから生真面目にあれこれ思い悩んでしまうほうですが、辛くなったり苦しくなっているときは、真剣さを通り越して深刻になりがち。もっといいかげんな人生を気軽に生きていきたいな、と思う次第です。

メンタル界隈、精神世界界隈でうんざりするほど言われるのは「受け入れる」「許す」「手放す」という言葉。さらに仏教なら「諦める」と言うでしょうし、それを全面的に推し進めたものを「悟る」と呼ぶかもしれません。

凝り固まって執着していて「絶対に……!」という強い思い・重要性・深刻さ、握りしめて離さない強すぎる緊張感を、ふっと緩めて、

そんなことはまあとりあえず置いておこうか
まあ、そういうこともあるかもしれないね

くらいにリラックスしたほうへ導くこと。これがつらさから抜け出すためのベイビーステップであり、自分の望む人生を創り出していくのに役に立つのかもしれません。

今日もタリーズにいってきます。ありがとう。ピュー。

ナス ぺこぱ

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