【自己啓発】『受け入れる』の意味、間違えてない?本当に正しい『受け入れる』を解説する。

2021年8月22日

受け入れること

「受け入れる」という言葉に、どんな印象を持ちますか?

諦めること?言いなりになること?なんだかうさんくさい?

自己啓発(とくにスピリチュアルや宗教、瞑想界隈など)でよく使われる許し・受容(受け入れる)という言葉は、ほとんどの場合あいまいな意味でしか使われていません。

「受け入れること」をきちんと実践するなら人生に非常に大きな転機をもたらしてくれるのに、それが正しく理解されていないというのは非常にもったいないものです。

そこで今回は「受け入れること」の誤りを先に指摘しつつ、正しい意味をざっくり解説してみたいと思います。

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「受け入れる」の3つの誤り!

最初に「受け入れる」の意味のうち、誤っているものを3つ指摘していきましょう。

代表的なものには

  • がっかりして諦めること
  • 誰かの言いなりになること
  • ”受け容れよう”と考えること

があります。

受け入れることは、がっかりして諦めることではない

この誤解が一番多いような気がします。

受け入れるというのは落胆して諦めてしまうことではありません。

諦める=落胆してしぶしぶ受け入れる、というのはあくまで世間的な言い回し。ときにこれを恐れて「諦めるな、がんばれ」という考え方が当たり前のように世の中に浸透しています。

ですが、心の世界では意味が全く異なります。

「諦める」は本来仏教用語で「明らかにする」「真理」と言った意味でした。挫折したまま「これが私の限界なんだ」「世の中こんなものだ」と見切りをつけてしまうこととは関係がありませんし、そんなところに真理はありません。

私たちは物質的に満たされたいし、人間関係は豊かにしたいし、望んでいるものになりたいと思うのが自然なこと。そうではない現実に甘んじて苦しみながら生き続けよ、という考え方は健全ではありません。

受け容れるというのは、落胆して諦めることはでありません。

受け入れることは、誰かの言いなりになることではない

親や上司、先生や友人に「それが当たり前だから受け入れなさい」と言われることがあるかもしれません。理不尽なことや自分に都合がいいことを理由に、平気でそう言う人たちもいます。

ですが受け入れるというのは個人的な心の営みです。誰かに強要されてよいものではありません。それがどんな正論だっとしても自分の意にそぐわないものを自分のものとして飲み込んで「大人になる」ことで自分が幸福になることはありません。

受け入れるというのは誰かの言いなりになることではありません。

受け入れることは、「受け入れよう」と考えることでもない

心についてある程度学んだ人や、自己啓発に関心を持った人がハマりがちなパターンです。

嫌なことがあった、苦しいことがあった、そんなとき「大切なのは受け入れることなんだ」と思い出して、状況を肯定しようとしたり、無理に”受け入れよう”とします。

でも正直になってください。

自分としっかり向き合ったとき、心のどこかにモヤっとした不快な感じ、違和感、痛みを感じていないでしょうか。もしわずかにでも感じるなら、それは受け入れることができていないサイン。

努力して受け入れようとしているなら無理に抑え込んでいるだけ。自分を苦しめているだけです。それではいつか心が壊れてしまいます。

もし正しく受け入れたなら、たしかに自分の心に癒しがもたらされ、苦しみが溶かし去られ、結果として好ましくない今をも肯定できるようになるかもしれません。でも、正直になったとき、本当に楽になっていると心から言えるでしょうか?

受け入れるというのは、受け入れようと考えることではありません。

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なら、受け入れるって何?

受け入れるとは、

いつもは気づけていないけれど、ふだん自分が抱え込んでいる感情・自分の本当の気持ちを探り当てて見つけてあげること、気づいてあげることまたその存在を認めてあげること。

たとえば騙されやすい人は「信じなければならない」という信念が隠れているかもしれません。その信念(思い込み)と、それをつくりだした過去の経験は何だったでしょうか。

たとえば心を開けない人には「もうこれ以上傷つきたくない」という信念が隠れているかもしれません。その信念(思い込み)と、それをつくりだした過去の経験は何だったのでしょうか。

その経験と感情を思い出し、意識の光で照らし出し、「そうだったんだ」と認めてしまうこと、これだけで苦しみや痛みの感情は溶けて消え去ってしまいます。そこに執着は残りません。

これが受け入れるということの本当の意味です。

自己啓発には、科学的なものからスピリチュアル・宗教的なものまで幅広くあります。心に関して様々なことが言われますが、「受け入れる」ということを正確に理解している人は、どの分野においてもごくわずかです。

私が個人的に推したいのは『未処理の感情に気付けば、問題の8割は解決する』(実業之日本社)です。

心理学ベースの4nessコーピングという手法で、問題を引き起こす信念に当たりをつけて深堀していく中で、過去の経験と感情にフォーカスする、堅実なメソッドだと思います。

また、受け入れることを盛んに話題にしているのは瞑想界隈です。

当ブログのコンテンツであればジョン・カバットジン宝彩有菜バグワン・ラジニーシエックハルト・トールなどがそうです。

瞑想中は乱れがちな思考が静まり、集中が深まった状態で、過去の記憶が蘇りやすく、感情を再体験しやすいため、気づき・受容が起こりやすいからだと思われます。

また、スピの界隈では手放しということが良く使われますがこれも同じことです。中でも優れているのはヘイル・ドゥオスキン氏のセドナ・メソッドでしょう。これはシンプルかつ強力なので、だれにでもオススメできます。

 

以上のようにいろいろご紹介してみましたが、結論として言いたいのは次のことだけです。

受け入れるとは、気づくことである。

意識の光を当てることである。

ココブロでの『受け入れる』の定義

これまで気づけていなかった自分の考え方の癖や過去の体験と、そこに潜んでいた感情を発見して、ただ気づくこと。そうして「ああ、こんな感情(体験)があったんだな」と認めたとき、痛みや苦しみからの解放が自動的に始まるのです。

まとめ

今回は、出典や根拠などを省略して解説してきました。

繰り返しになりますが「受け入れることは気づくこと」です。これはとてもシンプルではないかと思います。

“受け入れよう"としたり"許そう"とすることは、自分の心に嘘をつくだけ。かといって、感情を無視したまま努力を続けるならいつか心が壊れてしまいます。

自分が望む人生を送る努力をすること(自己実現)と、自分の痛みや苦しみを受け入れること(自己受容)は互いに矛盾しません。

自己実現と自己受容は両輪であり、ともに生きていくための大切なスキル・知識です。

受け入れることはただ自分の本当の気持ちを探り当てて見つけてあげることだと考えてください。

そうするだけで、自分を縛っていたあらゆる重荷から解放されるのです。

これを読んでくださる方が、痛みや苦しみから解放され、望む人生を送れますように。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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