【不食】秋山佳胤さん『不食という生き方』の内容を詳しく紹介! 【要約】

2020年3月3日

不食という生き方 秋山佳胤

この記事は不食・少食に関する書籍、秋山佳胤さんの『不食という生き方』(幻冬舎)の内容を簡単にまとめたものです。

ポイント
  • 食べないで生きていくこと、少食で生きていくことに関心のある方にオススメ。
  • 本の概要を知りたい方向けに2000字~3000字程度にまとめました。

どんな本なの?

・弁護士の秋山佳胤(よしたね)さんによる不食本。(2016年著)。
・司法浪人時代に出会った気功からホメオパシーに関心を広げ、そして不食へと至った秋山さん。
・不食はどのようなものか、そして苦悩から離れて幸福に生きるすべを教えてくれる良書。

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■この記事の内容は?■

不食という生き方

≪書籍の要約について≫

常体・敬体は本文に従っています。

記事内の見出しには独自のものを設定する場合があります。

できる限り本文と同じ語を用いて要約しています。

食べなくてもいい~司法浪人時代~(1章より)

私は2008年3月以降、一切の飲食が要らなくなりました。いわゆる不食です。

不食は水も食べ物も摂取しない状態ですが、誤解のないよう申し上げておくと「無理に」それを実践しているわけではなく、また不食によって利益を上げているとか、そういう背景で実践しているわけではありません。やりたいからやっているのです。

私は弁護士になるまでに6年かかりました。司法試験に落ち続け、すさまじい不摂生の中で生活をしたことが原因で、アパートの自室で栄養失調で倒れてしまったことがあります。その後、まずは身体をつくろうと気功の本を手に取り実践したことで状況は一変。

体調は改善し、集中力が劇的に上がり、結果的に司法試験に合格することができたのです。

食べなくてもいい~不食との出会い~(1章より)

司法修習生になってからは空手に打ち込み肉体づくりに励んでいました。そんなある日、ホメオパシーという東洋医学に基づく根本療法に出会います。日本では認知度は低いですが、欧州では大学医学部の正式なカリキュラムです。気功にも通じるものがあり、私は2005年春にロンドンへ。

そのときにできた友人の一人から、オーストラリアの不食者(ブレザリアン)・ジャスムヒーンさんのワークショップのチラシをいただいたのです。彼女は1996年以来、飲み物や食べ物の摂取をやめた人でした。

「それでどうやって生きているんだろう?」湧き上がる疑問に対して、その答えは大気に無限に存在するエネルギー(プラーナ)を摂取している、というものでした。

もし気功を実践していなければ、一笑に付したに違いありません。ですが、私は好奇心にしたがってすぐジャスムヒーンさんのワークショップに参加しました。

食べなくてもいい~不食であること~(1章より)

結果的に3年かけて私は不食になりました。それは食べないことを目標にするのではなく、毎日ちょっとずつ食べる量を減らした結果、いつのまにか食べなくて良くなった、という感じです。

私が実践したプロセスとしては、肉食と乳製品を減らし、主食を玄米採食へ切り替え、やがて野菜と果物だけを摂取するようにしていくと、最終的にほとんど食べずに生きられるようになりました。

とはいえ、食べないことを強制するものではありません。食べたいという欲求は大切にし。食べたいと思ったのなら素直に食べることです。我慢は得策ではありません。食欲を押さえつけることなく、リラックスするなら食事量は自然に減っていきます。

食べないことにより、アマゾンの熱帯雨林を走り回っても疲れませんでしたし、体力は今が一番あります。寝なくても平気になりましたし、睡眠時間も1日2時間ほどに。少なくとも食べる量を減らすことで、持病やメンタルの不調が劇的に改善したなどの嬉しい声が、私の周囲では増えています。

否定しなくてもいい(2章)

私たちは否定すること・ネガティブに裁くことがくせになっています。否定ぐせが強い人は「それが常識」と考える傾向が強く、すぐ善悪を付けたがり、自分をつねに正義だと考えます。ですが自分が裁くなら、相手からも裁かれます。

他人の意識は自由にできませんが、自分が自分に与える評価は「他人も自分も裁かない」と態度を一定にすることによって、相手から裁かれなくなり、否定されることもなくなります。

また自分の過去を否定しがちだと認めたくない自分への執着が強くなり、ストレスが強くなります。自己価値が不足していると感じるところから自己否定がはじまりますが、それを認め、肯定できるようになると、フッと楽になれるのです。あんなバカな自分も、こんな悲しい自分も、全部「かわいい自分」。

ありのままのピュアな自分だからこそ、貴重な人生経験ができるのです。そこに損得はありません。

争わなくてもいい(3章)

弁護士・代理人という職業は、クライアントが敵視する相手を懲らしめる仕事がメインではありません。クライアントに状況を把握してもらい、解決の道筋を探る共同作業が重要です。

争うというのは「善悪のラベル貼り」。人は怒りに包まれているとき、相手に対する恐怖心があり、その根源には「知らない(未知)」という感情があります。それがやがて「知りたくもない」という拒否感の感情に成長するのです。

悪いニュースを目にしたとき、被疑者や被告人を責めることは簡単です。では自分なら正義を貫けたかと、想像してみてください。その嫌悪感を自分への戒めにできれば、心を浄化できます。自他同然(自分も他人も一緒)なのです。

悩まなくてもいい(4章)

「悩みは、まじめさに比例し、いいかげんさに反比例する」、これが私の悩みに対する結論です。まじめな人ほど悩み苦しむもので、かつての私もそうでした。私の事務所に相談にいらっしゃる方もほとんどと言っていいくらい真面目な方ばかりです。

こうしなきゃ、こうでなければというのは、固定観念による思い込み。そこに気づき「問題を問題視しない」という姿勢が、悩みを解消します。理想像なんてどこにもありません。こうであるべきという思いを手放しましょう。

また自分自身を否定しがちな人も、その不自由さや悩みを肯定しています。どうしても悩みが収まらなければできるだけお休みしましょう。休職・退職・入院。まったく恥ずかしいことではありません。悩みは緊張が続く状態ですから、緩める必要があります。

みんなどこかで休む必要があるし、どこで休むかは人それぞれです。

こだわらなくてもいい(5章)

どんなことをするかは、本来ひとそれぞれ。なのに「そんなことをするな」といういわゆる"べき論"は、人に不思議な安心感を与えます。かつての私もそうでしたが、べき論に支配されているということは何かに強く依存して生きている証拠です。

特許をめぐる訴訟では、よく「カウンター」という言葉が登場します。A社が自社の特許権を侵害されたと差し止め請求をB社に行ったとしたら、B社が別の視点から特許権を振りかざし、逆にA社が訴えられてしまい、係争が泥沼化します。

代理人の最優先事項は、落としどころを見つけること、クライアントの視野を広げること、攻めると同時に守ることも大切だと理解してもらうことです。順調に進めば、裁判官さえ想定しなかった、うまい決着を見つけることができるのです。

こだわりを捨てることで、視野が広がります。しちゃいけない、こうすべき。そう考えることで、結果として自分を追い詰めてしまいます。してもいい、しなくてもいい。いいかげん(加減)なくらいでちょうどいいのです。

以上、『不食という生き方』の要約記事でした!

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