ほんのちょっとしたざつだん

2021年4月12日

お久しぶりです。オルメです。

昨年(2020年)末にこのブログを更新して以来、ご無沙汰しています。

ぜんぜんブログに触ってなくて、もしかしたらもう二度と更新しないのかも…とちらちら思ってましたが戻ってきました。

私としてはもうこのブログで紹介してきたような自己啓発を終えたつもりで、昨年末に転職してから忙しくしていたこともあって、自分と向き合う機会もずいぶん減っていました。

 

自分に意識を向けないことって、精神的に健全なんです。

自分を忘れて世界を楽しむことこそ人生なんですよね。

 

でも私もこれまでのクセで自分とこの心のことをぐじぐじと振り返ってしまうわけで、この軽やかな春を迎えても、これまでに経験したことのない後悔のような感情が、チクチク、と。

なんだろうなぁこの気持ち、とぼんやりと考えているうちに桜が散って、ずいぶん日が長くなっているのに感慨深さを感じたり。

 

…と、そんな感じで今回は春に思うあれこれ、そして自己啓発の集大成についてのお話できたらなとおもいます。

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さくら ひらひら 舞い降りて落ちて

この、いきものがかりの「桜」という曲がもう十余年も前のもので、わたしも当時は学生で、懐かしくも甘酸っぱい青春(なんてものは特にありませんでしたけども)、こんなにも時間が経ったのだなぁ、と。

てりたまマックを食べながらぼんやりと考えていました。

私は10代の半ばから、本当に真剣に(深刻に)自分自身と向き合い続けてきました。なんだかかっこよく聞こえますが、ただただ痛みと辛さの中に囚われて人との関係を築くことができず、自分を責めて、どうやったら変われるのかを思い悩んでいました。

高校生の終わり頃も、途中から学校行けてなかったですしね。誰にも相談できなかったし。

それでも卒業してから大学に通い始めて、必死になって自分を変えようと努力してきましたが、それも失敗に終わりました。でも何とかして理想の自分に近づきたいという思いから、どんどん「私自身をどうすればよいのか」という考えに囚われていきました。

 

人生を振り返ると本当に内向的な人生でした。いつも心の仕組みについて考え、どんなふうにコントロールできるのかを考えてきました。湧いたアイデアをすべてメモし大量にまとめ、理論化し、実践する。

そんな心という微視的な世界が私の世界そのものでした。

当時はそのことに愉悦していたふしもあって、人とは違うことを恐れながらも、それを気持ちの片隅では喜んでいたかもしれません。自分は特別なんだ、とね。いまならこの厨二病め!とやさしくののしってやるところですが、まあそれはいいでしょう。

ちいさな厨二だったわたしがおおきなお友達になって幾星霜……ふとあの「さくら ひらひら 舞い降りて落ちて…」と感傷を誘う聖恵さんの声を聞いたときぐっとくる(というより、鈍器で刺された!みたいな)胸の痛みに襲われるこの感じはなんだろう。

切なくなるような、もう取り戻せないなにかを置いてきてしまったようなものがなしい気持ちは…と探っていくと「後悔」という言葉がしっくりくる。

後悔。
私の人生で最も縁のないことば。

なんであれ人生は決断の連続で、そのたびにどんな結果でも満足してきました。

自分で決めたことだからそれだけで十二分、結果がどうとか全然関係ない、起きなかったことを「こうすればよかった」と思うことほどナンセンスなことはない、そんな信条が私の偽らざる本心のはず…だったのに。

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違う世界を見ているから

そうしてモヤモヤしたまま4月になり。

ようやく後悔の感情の正体に思い当たりました。

 

私はこれまで本当にあらゆる関心を「自分をどうするか」「心をどうするのか」ということに注いできました。

そうして心をひたすら観察したり実験するような微視的な視点で生きてきて、ここ数年になってそれが大きくゆるみ、このココロをつくるブログを運営して2年半もしたころにはもう心に対する関心をなくしていました。

自分は解決した。

私は決着した。

心はもう十分だ。

自己啓発ももう終わりでいい。

そういう感じが日増しに強まっていき、自己啓発を卒業した…そんな思いでいました。

 

ここ最近は本当に外の世界に没頭してきたおかげで人生の出来事(私生活とか仕事とか遊びとか)が大きく膨らんでいます。

巨視的な視点で生きる、というのでしょうか。
ふつうの人と同じ世界を見る、といってもいいかもしれません。

だから、なんでしょうね。

ああ、いままで自分は何をしてきたのだろう。
人生のライフイベントなんてこんなにも足りてこなかった。
もっと遊びたい、もっと人とかかわりたい、もっと仕事だって充実させられたにちがいない。

…なんて、私らしくないんだろう。
こんな思いが強くなることに驚きさえしました。

今まで生きてきた微視的な視点、あまりにも小さく、およそ誰にも理解されえない心の世界、共有することさえ困難なもの。

まるで長い間、10年以上、その中に幽閉されていて人生を喪ってしまったのだよ、と言われたら私は疑わないかもしれません。

喪失感。

高いところから街を眺めたい

ひと月ほど前、無性に高いところから自分の街を眺めたい気持ちに駆られていました。

今は落ち着きましたが、結局それがなんだったのかは、今でもよくわかりません。

でも気づいたことはありました。

私はこれまで小さすぎる世界を、顕微鏡をのぞくような人生を送ってきた。
そこに立ち返るなら、あふれるほど豊かな世界を見ることができる。
一方で、普通の人が普通に経験できるようなライフイベントに満ちた人生経験というものの乏しさ、その巨視的な視点では私に残るものはあまりに少ない。

今は、それほど馴染みのない、高いところから街を眺めているかもしれない。以前と何も変わっていないように見えるのかもしれない。でももっと細部を見れば、そこに圧倒的な変化がある。そこが私の昔の居場所だったのだから。

そんなふうに思い至ってから、妙に得心しました。

「この後悔みたいなからっぽな感じ、それは自分の故郷を捨てて、新しい場所で生きることを決めたときに似た気持ちなんじゃないかな」

決して戻りたいわけではない。
でも昔馴染んだものが何もない新しい世界にちょっと寂しさを感じているだけなんだな、と。

何年も勤めた会社を辞めてからまったく違う業種の会社で働くとき。
長く付き合った恋人と別れたとき。
トラック(かトラクター)にひかれて異世界転生したとき。

そんな誰もが感じる寂しさと同じようなものなんじゃないかな、なんて思うとしっくりきて、それ以来これが「私の真実」認定されるようになったようなのです。

……何を言ってるのかわかりますか?
伝わっていないとしたらすみません。
自分でも何を言ってるのかよくわからなくなってきたところです。

まあいいや。

寂しいのはそういうことなんだなぁ、ということです。

さあ、そろそろ文字を打つ指ちゃんが疲れてきたので、あと一つの話題を手短かに書いて終わりたいと思います。

自己啓発の集大成:オルメ式!願望を叶える引き寄せの法則、ついにリリース!

…しないんです。

すみません。

自己啓発はオープンソースであるべきだ、と思ってますし、そう書いてもきました。
それは変わってません。

また「提唱者は世の中にそんなにいらない」というのも持論で、まして自己啓発や引き寄せ・スピ界隈には瀬戸内海に大量発生するプランクトン並みの提唱者がいますから新しいことを言っても混乱が付け加わるだけです。

でも、それでもあえて言うなら、私自身に合う方法というのは結局、既存の提唱者の誰も言わなかったことばかりで、たとえば「アファメーション」とか「ヴィジュアライゼーション」のような、言語やイメージのどちらともやや異なる方法が私には合っています。

またビジネス系の人たちが言うところの「行動」というのは自分を変えてくれなくて、しいて言えばエイブラハムが言う「注意を向ける」ということ、またリアトラの「過剰ポテンシャル」にも多大なヒントが含まれています。

詳しく話すと長くなりすぎるので、とにかくそんなものを発見して、ようやく人生をそれなりに運用できるようになってきたな、という感慨だってあるんだぜ、という話でした。

まあ、この世界に足りないのは神様の親切心とチュートリアルと人生用のマニュアルでしょう。マニュアルがないなら作ればいいじゃない、ということでそれも自作してようやく生きていけるような気がしています。

みなさんにもココブロを利用していただき、自分なりの生き方を見つけるお手伝いができたのなら、それほど素晴らしいことはありません。

このブログのコンセプトは「幸福や成功に関する知識や情報を共有し、それぞれの理想を目指していくこと」。
先人たちの、支持されてきた価値ある情報がもっと共有され、皆さんの人生をより豊かにすることができたなら……

陰ながらではありますが、そうであること心から祈っています。

このブログを(ましてこんなへんてこな記事を!)読んでくださる読者様、ほんとうにありがとうございます。

 

どうぞ気が向いたときにはいつでもココブロをご利用ください。

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