豊かな日本でなぜ貧困に?不足感が貧困を招くという現実【自分中心に生きれば解決します】

2019年10月19日

お金がない 貧困

無駄遣いしてないのに生活が苦しい……金があればなんだって好きなことができるのに……行政や社会保障制度がおかしい……

貧困を生み出すのは政治の責任、社会の責任、自分たちはその割を食っている――そう考える人も少なくない昨今ですが、事実日本では経済格差が広がり、相対的貧困と呼ばれる事実が浮き彫りになっています。

とは言え私たちは社会の事情はどうあれ豊かに幸福に暮らす権利があるはずですよね?お金のある豊かな生活を実現するために、私たちは何をすればよいのでしょうか?

そこで記事では、社会を取り巻く貧困をとりあげ、

  • 貧困にあえぐ人たち
  • 社会と政治のせいにする人たち
  • 競争社会にしがみつく人たち

この3つのパターンの貧困者に注意を向けつつも、自己啓発的な観点から「貧困とは無縁の人たち」についても語ってみたいと思います。

※注意
この記事では社会問題から貧困を解決・議論しようとするものではなく、「個人レベルから自分の貧困を解決しよう」という意図で書いてあります。あくまで当ブログは自己啓発系のブログであり、その趣旨のうちに記事を書いていますので、あしからず。

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貧困にあえぐ人々たち

社会と貧困

ここでは話の前提として、日本での貧困の事情と、あまり注目されない若者の貧困について簡単に触れてみたいと思います。

日本での貧困事情

日本でも経済格差が広がり、貧困(相対的貧困)が深刻になっている、という話はよく聞きますね。

2018年の東洋経済ONLINEの記事では、一人親世帯(シングルマザーなど)で貧困率が50%を超えていること、また高齢単身世帯の3~5割が貧困であること、社会保障・公的支援が弱いことなどが取り上げられています。

>>普通の日本人が知らない「貧困」の深刻な実態

周囲からの支援を受けにくい一人親や高齢者にとっては、自力での解決は難しい場合もあり、社会的な支援は欠かすことができません。

とはいえ貧困はこういった境遇にある一部の人に限ったものではないのです。

20代若者の貧困事情

世代に関係なく貧困層が増えているのも事実。

エキサイトニュースでは20代の貧困にあえぐ女子の生々しい話が綴られています。

>>「いざとなったら体を売ればいい」 20代貧困女子のリアル

平成生まれの筆者である女性が、夢を追いかける中で貧困に甘んじてみたものの、フリーターから抜け出せずに、あまつさえ「本当に困ったら体を売ればいい」などと言われてきた経験を、社会問題と絡めて話をしています。

彼女は自己責任論を批判し、最低限の生活をしていけるレベルにさえ到達できない若者のリアルをこの記事で訴えました。

自己責任論とはいったい何か?

彼女が批判する"自己責任論"とはそもそも、一体何なのでしょうか?

自己責任は「やるならあなたの責任でやってくださいね」という事前の警告としての文脈と、「結果が伴わないのは自分の責任だろ」という結果に対する非難の文脈があります。

エキサイトニュースの女性筆者の場合は夢を追いかけるための自分の選択ですから、自己責任であると言われるのはやむをえません。「体を売れ」などというバカな人間は論外としても、自分の選択について回る責任は男も女も関係ないでしょう。

私たちには夢を追いかける選択ができる自由があり、それに伴う責任があります。残念ながら、これは回避できません。そして、その過程で一時的に貧困にはまり込むこともあるでしょう。

しかし、一個人としてその貧困から抜け出すすべは本当にないのでしょうか?

その生き方・生活方式に関する思考を、社会問題にすり替えて論じれば、「私の貧困は社会のせいで変わらない」という考え方が事実であるように思われ、より豊かに生活できる可能性を探ろうとするきっかけを、自らで摘み取ることになるのです。

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貧困を"政治・時代・社会"のせいにする人たち

社会と貧困

「お金がない」という話はTwitter内でも頻繁にバズっています。

たとえば「若者の〇〇離れ」に絡めて、次のようなつぶやきに「4万いいね」がつけられていました。

文句を言いたくなる気持ちも、わからなくもありません。

終身雇用制など今は昔、年金制度は実質的に破綻し、賃金は上がらず、税金だけは着実に上がっていきます。軽減税率が適用されても、消費税は結局10%。東京五輪が終われば景気は確実に冷え込むでしょうから、夢も希望もありません。

ですが。このツイ主の言葉を、このような考え方をうのみにすべきでしょうか?

そもそもラーメンや寿司離れは単純な食文化の多様化によるものかもしれません。旅行離れは安全な日本の自宅に引きこもりネトフリ・Youtubeで満足できることが原因かもしれません。タバコは健康ブームと世相から倦厭され、車はいまや必要も魅力を感じないのかも。

社会全体として解決すべき問題もありますが、何でもかんでも貧困のせいにしてしまってはいないでしょうか?

私たちは「これはどうしようもないんだ」と正当化すれば安心できますしそれ以上考えなくて済みます。まして自分ではなくて政治のせいにしてしまえば、他人を責めて気持ちの平穏を一時的には得られるでしょう。

でも、そのものの考え方にこだわるなら、自分の人生に何の解決もたらしません。無力感に苛まれようと、誰かを責めようと、世の中は変わらないでしょう。不満を持ち続けても、自分の貧困もまた何も変わってはくれないのです。

なお興味深いことに、世の中にはいまだに古い価値観にしがみつく「残念な大人」たちが貧困という概念を振りかざすことも。少し覗いてみましょう。

旧態依然の競争社会にしがみつく大人たち

競争社会

ここでは、古臭い考え方を引きずる人たちを紹介しつつ、考え方を俯瞰していきましょう。

階級で人生が決まると考える亡霊たち

たとえばダイヤモンド・オンラインでは、生活に困窮しないもののそれ以上の(経済的)"階級"に上がることができないアンダークラスの人々を「マイルド貧困」と呼んで、揶揄しています。

国立大を卒業したあとバイト生活を続けて、彼女と家賃12万円の家を間借りしながらゲームに興じつつそれなりに楽しく生きている27歳男性を「この(男性と同じ)階級に一度嵌れば、これ以上這いあがれない」などとうそぶいています。

しかも面白いことにシリーズ化されてるんですよね。ライターも編集部もヒマなんでしょうか

こういう考え方の背景には、人間には経済的な階級が存在し、経済的向上だけが人間の生きる道だと思い込みたい古臭い信念でもあるのでしょう。

「大学をきちんと卒業し、新卒でいい会社に就職し、正社員として働き続ける」という“レール”から一度でも外れると、元に戻ることは難しいという、やり直しがきかない社会であることだ。

同記事

これ、本気なんでしょうか?30年くらい前に書かれた記事を使いまわしてると言われても驚きません。こういう現実を知らない上に想像力の欠いた人たちがいるおかげで、貧困意識を刷り込まれてしまう人が多いに違いありません。

今は可能性にあふれた時代

よく考えてもみればネットが相当なレベルで普及した今、私たちはいくらでも金を稼ぐチャンスに恵まれていて、個人が自由に経済活動できる時代です。

日本では低価格で品質の高い商品・サービスを簡単に手に入れることができます。そのうえ金を稼ぐノウハウは溢れ、通信料さえ払っていれば余分なお金をかけずにネットで学ぶことさえたやすい世の中です。

副業・複業・働き方改革が注目されている今、この流れが加速されていくことは想像に難くないでしょう。経済活動はもっと個人レベルで充実していくに違いありません。

ココナラやクラウド・ワークスやら各種クラウドファンディングまで、あらゆるwebプラットフォームが充実しているのですから、私たちにはなんだってできる、と強がってみても、それは寝言でも絵空事でもないのです。

 

これまで見てきたように、私たちは自分の個人的な事情を、社会の責任に押し付けがち。まるで「水温が低すぎるから泳げません、この川の水温を上げてください」と言うようなものです。川の水温など上げるすべがないように集合的な社会事情など、個人レベルではもとよりどうしようもないのです。

それよりも現在の状況を前提として捉え、その上で自分の生き方を模索し、あるいは社会に対する不満やそれを変えようとするエネルギーを、自分の人生を変えようとするエネルギーに振り替えれば、状況は劇的に好転できます。

私がこの記事で主張したいのは、ただこの一点に尽きるのです。

貧困とは無縁の幸せな人たち

愛

社会の貧困はいったんさておき、自分自身という一個人に焦点を当てて貧困を考えてみましょう。

不足を意識すれば可能性が奪われる

人は同時に二つのことを考えることができません。

お金の不足について考えていると、不安と焦りから「どうやって稼げばいいのか」「何を切り詰めればいいのか」と切迫した感情に追い詰められていきます。このような精神状態のとき、より単純で短絡的な考えしか浮かびません。

「とりあえず人から借りよう」「とりあえずバイトしよう」「食費を削ろう」というように、誰でもすぐに思いつくことを試します。それは新しい不安と不満を生み出して自分を追い込んでいきます。

「返すためには他から借りないと」「低賃金のバイトじゃ稼げない」「食べるものがない」とどんどん切迫し、泥沼にはまります。自分自身の選択は、きわめて精神的なもので、思考の視野と感情に深く依存していることに私たちは気づくことができません。

充足を意識すれば可能性を見出せる

もし「生活できるくらいにはお金がある」「とりあえずしばらくは問題なく生きていける」「余ったお金で好きなお菓子が買えそう」と考えるならどうでしょう?

自分をむやみに圧迫する不安や不満の感情が取り除かれ、心は穏やかなまま平和な気分で生活できます。そして「余裕もあるし、ちょっと稼げそうな仕事を探すか」とあれこれと調べる余裕が生まれ、「この仕事やってみたいな」という気持ちで職探しするかもしれません。

前向きな気持ちで仕事を選択しているので雇用されやすくなりますし、仕事を通して満足感を得ることもでき、成果も出しやすくなるでしょう。余ったお金で好きなお菓子を買って満足な気持ちで一日を終えるなら、一段高い幸福に手を付けていることになるのです。

自分を中心に据えて人生を生きる意味

そのような余裕ある態度は、人間関係をも充実させ、よりよいチャンスをつかみ取れるようになります。

状況はすぐには変わらないかもしれません。当面は今と似たような生活レベルが続くのかもしれません。でも着実に収入が増え、不要な支出を削るのが楽しくなり、少しずつでも貯蓄がたまっていくのなら、それは素晴らしいことです。

余剰のお金が増えてきたら、自己投資に回して新しいスキルを身に付けたり、自分で仕事を始めても面白いかもしれません。ギャンブルではなく、堅実に投資を行ってもいいかもしれません。

私はブロガーですが、ネット界隈ではできることはやまほどありますし、ニーズもあります。何をするにせよ、精神的な余裕は金銭的な余裕に直結し、その余裕はさらなる精神と金銭の余裕を生み出していく好循環になります。

不足ではなく、充実しているところに目を向けてください。

今ある環境のメリットについて考えてみてください。

少ないながらのお金で最大限満足できることは何かを考えてみてください。

あると思う者には与えられ、ないと思う者は奪われる、という考え方が聖書の中にはありますが(タラントの譬え)、これは私たちの現実世界でも同じことなのです。

まとめ

世の中を中心にして自分の人生を考えるのではなくて、自分を中心に据えて、世の中を捉えることが大切です。

「足りない、できない、私には無理、世の中が悪い」という環境本位な考え方を捨てる覚悟が決まれば、私たちには環境を選択できる力があることに気づけるようになります。

そうすれば、私たちは遅かれ早かれ変わっていくことができるのです。

今回はこの記事では多くの方に理解できるように合理的な説明の仕方をしてみましたが、本当はもっと踏み込んでスピリチュアルな考え方を人生に取り込んで、選択肢を大きく増やすことを、当ブログはわりと推奨しています。

引き寄せの法則は「思えば叶う」という考え方を前面に押し出しますが、2006年を境に爆発的に大ヒットし世界中に知られるようになりました。ザ・シークレットを知っている人も多いのではないでしょうか?

当ブログではこういう自分(の思考と感情)を中心に据えた自己啓発書関係のコンテンツを数多く発信していますから、人生を変えたい方はぜひチェックしてみてください。

みなさんの生活や人生が豊かなものになり、幸福なものになることを心から祈っています。

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